Leipzig Tourismus und Marketing GmbH

Augustusplatz 9, D-04109 Leipzig
 
Stand / Druckdatum: 05.12.2016

Schumann-Haus | Leipzig Tourismus und Marketing GmbH

 

 
 
 
 
 
 
 
 
   
本日の最低料金
 
 
 
 
観光案内~ライプツィヒ発見    音楽    シューマン旧宅
 

シューマン旧宅(シューマン・ハウス)
Schumann-Haus

ドイツ・ロマン主義の代表的な作曲家となるロベルト・シューマン(1810~1856)は、1828年にライプツィヒ大学で法律を学び始め、捨て切れぬ音楽への情熱から当地のピアノ教師フリードリヒ・ヴィークの門を叩きました。音楽の街ライプツィヒが彼の運命を決定付け、やがてヴィークの娘で「神童ピアニスト」としてヨーロッパ中で喝采を浴びていたクララ(1819~1896)と恋に落ちます。2人は逆境を経て1840年9月12日に近郊のシェーネフェルト教会(Gedächtniskirche Schönefeld)で婚礼を挙げ、翌日(クララ21歳の誕生日)からこの新居での生活を始めました。

1844年にドレスデンに転居するまで、夫婦はここで個人としても音楽家としても幸せに満ちた日々を送ります。「歌の年」「交響曲の年」と呼ばれる創作期を迎えたロベルトは作曲家としての方向性と社会的評価を確かなものとし、クララは時代を代表する名ピアニストとしての技巧をこの時期に完成させたといいます。ロベルトが『交響曲第1番「春」』や、日本で親しまれている合唱曲『流浪の民』を書いたのもこの家で、また子煩悩で知られる彼にとって初めての子となる長女マリーと次女エリーゼも、共にここで産声を上げました。

童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンもシューマン夫妻に会うために訪れ、作曲家リヒャルト・ワーグナーもライプツィヒへ帰郷の度に定宿としたというこの建物は、同時にライプツィヒに残る数少ない新古典主義建築のひとつでもあります。現在はロベルト&クララ・シューマン協会の管理する博物館として整備され、2人の生涯と作品をテーマとする音楽史の大切な1ページが紹介されています。 ロベルトは生涯において故郷ツヴィッカウに次ぐ多くの時間をライプツィヒで過ごし、彼の歴史的評価も当地でいち早く始まりました。市内には1875年4月8日に世界で最初のシューマン記念碑が建立され、これは現在も中心街のモーリッツ要塞裏手の緑地に佇んでいます。
 
 
所在地
Inselstraße 18, 04103 Leipzig
(中心街のアウグストゥス広場 Augustusplatzより徒歩10分)

最寄り停留所
► Johannisplatz(ヨハニスプラッツ):路面電車4・7・12・15号線

開館時間
火~金曜14:00~18:00
土・日曜10:00~18:00
月曜休館

入館料
一般:3ユーロ
割引:2ユーロ

お問合わせ先
Tel.: +49 (0)341-3939-620
Fax: +49 (0)341-3939-622
http://www.schumann-verein.de
 
 
 
 
 
 

◆ライプツィヒ物知り事典5

シューマンゆかりのコーヒー店《カフェ・バウム》
Coffe Baum (Zum Arabischen Coffe Baum)

ロベルト・シューマン(1839年)
ライプツィヒ中心街・ドラレヴァッチュ横丁の一角には、ロベルト・シューマンが常連だったコーヒー店「カフェ・バウム」がある。これは現在まで営業しているコーヒー店としてドイツ最古、ヨーロッパでもパリのカフェ・プロコップ(Café Procope)に次いで2番目にあたる。すでに1711年にはコーヒーの提供があったと伝わり、1720年に正式にカフェとなった。西洋有数の通商都市として栄えたライプツィヒらしくコーヒーはヨーロッパでいち早く登場し、すでに1695年にはカフェ・バウムに先立って市内最初のコーヒー店が開業していたとされる(現存せず)。当時のヨーロッパの人々にとってコーヒーは異国情緒あふれる珍しい飲み物であり、このことはカフェ・バウムの正式名称「ツム・アラビッシェン・カフェ・バウム(アラビアのコーヒーの樹)」にも示されている。その入口上部に掲げられたキューピッドとアラブ風男性(それぞれヨーロッパとオリエントを象徴)がコーヒーの樹の下でコーヒーカップを交わす像は、店の「表札」として世界でも他に類のない、大変珍しいものという。

ロベルト・シューマンの指定席が今でも残るのが1階のカフェ兼レストランだ。彼はお気に入りだった左側の部屋の一角に毎晩のように音楽仲間を集め、彼が1834年に創刊した音楽誌「音楽新報(Neue Zeitschrift für Musik)」の内容について話し合ったという。古代イスラエルのダヴィデ王の戦いの如く古い価値観をかわして芸術音楽に新しい道を拓くことを目的に、彼らは「ダヴィデ同盟(Davidsbündler)」という架空の一団を名乗った。後年ヨハネス・ブラームスが新しい道のあり方としてシューマン自身によって世に送り出された話はよく知られる。カフェ・バウム内の指定席は「シューマンの角席(Schumann-Eck)」と名づけられ、現在も客席として提供されている。この店にはヨハン・セバスチャン・バッハ、ゴットホルト・エフライム・レッシング、ナポレオン・ボナパルト、E.T.A.ホフマン、フランツ・リストらも足を運んだ。

また狭い階段を上った3~4階にはカフェ・バウム博物館(Museum Zum Arabischen Coffe Baum)があり、ここでは300年にわたるザクセン地方のコーヒー文化が紹介されている。コーヒーはザクセンの人々に特に好まれ、それゆえコーヒー店は市民文化が生まれるサロンとして独自の発展を遂げていった。シューマンが尊敬してやまなかったバッハもライプツィヒのコーヒー店で演奏会を開き、この流行の飲み物を題材に『コーヒー・カンタータ』BWV211を創作した。またザクセン地方でのコーヒーの登場とマイセン磁器の発明はちょうど同時期であり、コーヒーの人気があったからこそ、それを淹れて楽しむための陶芸文化が花開き、マイセン磁器の質と美しさが確立されたのだった。博物館ではこれらコーヒー・カンタータやコーヒーにまつわる様々な逸話が紹介され、またナポレオンが諸国民戦争の際にライプツィヒで最後のコーヒーを飲んだとされるカップ、1910年製の自動演奏ピアノといった珍しい品々も見ることができる。
 
カフェ・バウム
Coffe Baum

所在地

Kleine Fleischergasse 4, 04109 Leipzig
(中心街)

最寄り停留所・鉄道駅
► Markt(マルクト):バス89番
► Leipzig Markt(ライプツィヒ・マルクト):都市鉄道(Sバーン)各線

営業時間
1階カフェ・レストラン
毎日11:00~24:00

博物館
毎日11:00~19:00
http://www.stadtgeschichtliches-museum-leipzig.de (一部日本語あり)
入館無料

お問合わせ先
Tel.: +49 (0)341-9610-060
Fax: +49 (0)341-9610-030
http://www.coffe-baum.de
 
 
 
 
シューマン夫妻ゆかりの場所
  • ライプツィヒ大学(Universität Leipzig)
ロベルトが1828~30年に在籍し、法学を専攻。ライプツィヒ大学は当時彼が熱狂的に信奉していた小説家ジャン・パウル(1763~1825)の学んだ場所でもある。ロベルトの過ごした校舎や下宿は残っていないが、法学部は当時から現在まで中心街の同じ位置(現ペータース・ボーゲン)にある。
 
  • カフェ・バウム
ピアノ奏者から音楽評論家・作曲家へと自身の目標を変更したロベルトは、ライプツィヒで1834年に音楽誌「音楽新報」を創刊。その内容は店内の指定席で連日論議された。
 
 
  • シェーネフェルト教会(Gedächtniskirche Schönefeld)
1840年9月12日にロベルトとクララの挙式が行われた教会。参列したのはクララの実母マリアンネ・バルギールと友人エルンスト・ベッカーのみだった。後に普仏戦争・第一次大戦の犠牲者を追悼する場として「記念教会(Gedächtniskirche)」と改称される。演奏会等の機会を除いて内部非公開のため注意。所在地:Ossietzkystraße 39, 04347 Leipzig
 
  • メルカウ荘園(Stadtgut Mölkau)
挙式の後、夫婦として初めて2人の午後の時間を過ごした公園。所在地:Kelbestraße 3, 04316 Leipzig
  メンデルスゾーンと親交を結び、お互いの家でサロン演奏会を行った。長女マリーはメンデルスゾーンが名付け親となった。

 
 
 
市立商館
初代ゲヴァントハウス・コンサートホールは2人の音楽家としての原点となり、1828年10月20日にクララ初めての公開演奏会、1833年4月29日にロベルトの作曲家としてのデビュー、1841年3月31日にロベルト『交響曲第1番「春」』、1846年11月5日に『交響曲第2番』の初演(両者ともメンデルスゾーン指揮・ゲヴァントハウス管弦楽団演奏)などの舞台となった。またフランツ・シューベルトの『交響曲第8(9)番「ザ・グレート」』はウィーンを訪れたロベルトが遺品の中から発見、ライプツィヒへと持ち帰り、メンデルスゾーンの指揮によって1839年3月21日ここで初演された。そしてメンデルスゾーンが1843年に創設した音楽院ではロベルトとクララも授業を担当した。ホールと音楽院校舎は中心街の隣接した場所にあったが1894年に解体され、跡地一面には世界初の見本市専用施設となる「市立商館(Städtisches Kaufhaus)」が建設された。市立商館の南東の角にホール跡を示す銘板がある。現ゲヴァントハウス・コンサートホールの開演を告げるチャイムには、『交響曲第1番「春」』の冒頭部分が用いられている。

また市立劇場(旧劇場)では1850年6月25日、ロベルト唯一のオペラ作品『ゲノフェーファ』が自身の指揮によって初演された。
 
 
ライプツィヒ時代のロベルトの代表作
  • 謝肉祭 op.9 (1834~35年)
  • 交響的練習曲 op.13(1834~37年)
  • ダヴィデ同盟舞曲集 op.6(1837年)
  • 幻想小曲集 op.12(1837年)
  • ピアノソナタ第1番 op.11, 第2番 op.22, 第3番 op.14(1832~38年)
  • 子供の情景 op.15(1838年)(第7曲が「トロイメライ」)
  • クライスレリアーナ op.16(1838年)
  • ノヴェレッテ op.21(1838年)
  • リーダークライス op.24, 39(1840年)
  • 3つの詩 op.29(1840年)(第3曲が「流浪の民」)
  • ロマンスとバラード 第1集 op.45, 第2集 op.49, 第3集 op.53(1840年)(第2集第1曲が「二人の擲弾兵」)
  • 歌曲集「詩人の恋」op.48(1840年)
  • 歌曲集「女の愛と生涯」op.42(1841年)
  • 交響曲第1番 「春」op.38(1841年)
  • 交響曲第4番 op.120(1841年)
  • ピアノと管弦楽のための幻想曲 1841年(後の「ピアノ協奏曲」op.54第1楽章)
  • ピアノ五重奏曲 op.44(1842年)
  • オラトリオ「楽園とペリ」op.50(1843年)

クララは後に奏者に専念することになるものの1830年から作曲を始め、ピアノ曲を中心に一連の作品を書いた。一部はロベルトの楽曲に採り入れられた。
 
記念碑・銘板

  • ロベルト・シューマン記念碑
 
 
1875年4月8日、世界で最初のシューマン記念碑として除幕された。公園となっている周囲の緑地は造園家ペーター・ヨーゼフ・レンネ(ベルリンのティアガルテン公園・ポツダムのサンスーシ公園の作者として著名)の設計。中心街のモーリッツ・バスタイすぐ裏
 
  • カフェ・バウム
現在「シューマンの角席」の壁には、シューマンを記念する額やレリーフが掲げられている。
 
  • クララ生家跡の銘板
クララ・ヴィークが1819年9月13日に産声を上げた家のあった場所。生家と同区画には奇しくもロベルトの愛読したジャン・パウルの大学時代の下宿やフリードリヒ・シラーの滞在した宿もあった。中心街・ノイマルクト通り(Neumarkt)沿い、百貨店「カールシュタット(Karstadt)」の壁面
 
 
  • クララ旧宅跡の銘板
ヴィーク一家が住み、ロベルトも一時寄宿した家の跡地に、マイセン磁器製の銘板が掲げられている。中心街・グリンマ通り(Grimmaische Straße)とライヒ通り(Reichsstraße)の交点の北西の角



その他、1990~2001年に流通していた100ドイツマルク紙幣には、クララの肖像とライプツィヒの街並みが描かれていた。
 
 
カフェ・バウム「シューマンの角席」
 
彼らの名を持つ場所・施設 1889年制定。南北にハイドン通りとテレマン通りが平行する。第二次大戦の被害が著しく、戦前の家並みは残っていない。
1919年制定。シェーネフェルト教会近く

  • 私立クララ・シューマン小学校
  • 私立クララ・シューマン音楽美術学校
共にシューマン旧宅と同じ建物内にあるオルタナティブ・スクール
 
 
祭典・行事
  • シューマン音楽祭(Schumann-Festwoche)
音楽を中心とする祭典週間が毎年ロベルトとクララの結婚記念日(9月12日)を迎える期間に開催される。

音楽祭公式ページ(シューマン旧宅サイト内)
http://www.schumann-verein.de/schumann-festwoche.html