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Stand / Druckdatum: 09.12.2016

Taki-Rentaro-Denkmal & Musikviertel | Leipzig Tourismus und Marketing GmbH

 

 
 
 
 
 
 
 
 
   
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観光案内~ライプツィヒ発見    音楽    瀧廉太郎記念碑/音楽地区
 

瀧廉太郎記念碑/音楽地区
Taki-Rentaro-Denkmal & Musikviertel

メンデルスゾーン音楽演劇大学
中心街の外側、南西に広がる街区は1884年にゲヴァントハウス管弦楽団の2代目コンサートホール(現存せず)が建設されたことから「音楽地区(Musikviertel)」と呼ばれるようになり、現在までその名称で親しまれています。地区内と隣接するクララ・ツェトキン公園には作曲家の名が付けられたいくつもの通りや広場を見つけることができます。

音楽地区はかつて心理学者ヴィルヘルム・ヴントや作家エーリッヒ・ケストナーらが暮らした場所であるほか、ここにはベルリン国会議事堂放火事件の公判が行われた旧ドイツ帝国最高裁判所(現ドイツ連邦行政裁判所)、シナイ写本やグーテンベルク聖書などの貴重な資料を所蔵するライプツィヒ大学中央図書館(Universitätsbibliothek "Bibliotheca Albertina" / 所在地:Beethovenstraße 6, 04107 Leipzig)、1843年にフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディが創設したドイツ最初の音楽院・メンデルスゾーン音楽演劇大学(Hochschule für Musik und Theater Leipzig / 所在地:Grassistraße 8, 04107 Leipzig)、ドイツ屈指の美術学校として名高い視覚装丁芸術大学(Hochschule für Grafik und Buchkunst / 所在地:Wächterstraße 11, 4107 Leipzig)、及び現代アート・ギャラリーなどが集まり、通りを歩けばその香り高い文化的雰囲気に触れることができます。
 
 
そしてこれらの文教施設や壮麗な邸宅が建つ一角には、ライプツィヒで音楽を学んだ明治日本の作曲家・瀧廉太郎(1879~1903)の記念碑がひっそりと佇んでいます。これは彼の没後100周年を記念し建碑され、2003年6月27日に除幕されました。

瀧廉太郎はヨーロッパにおける日本人男性初の音楽留学生としてこの地で過ごし、記念碑の場所にあった下宿そばのライプツィヒ音楽院へと通いました。ドイツの街角にぽつんとある日本語の刻まれた記念碑には、短い生涯の中で日本音楽近代化の扉を開いた彼の偉大な業績が讃えられています。肖像部分はライプツィヒ出身の美術家ウルフ・プーダーの作で、碑文の下には瀧廉太郎の住んだ当時の家の外観が描かれています。



【碑文】
日本で敬愛されている作曲家、滝廉太郎(1879-1903)は
1901年から1902年の間、フェルディナンド・ローデ通り7番に
住み、ライプツィヒ音楽院で学んだ。
短い一生の中で数々の名曲を残し、日本の近代音楽の扉を開
いた業績は永遠に輝き続ける。
Der in Japan hochverehrte Komponist Rentaro Taki (1879-1903)
wohnte während seines Studiums am Leipziger Konservatorium
der Musik von 1901 bis 1902 in dem nicht mehr erhaltenen Haus
Ferdinand-Rhode-Str.7. Er war der erste japanische Musikstudent
in Europa.
 
 
所在地
中心街の新市庁舎 Neues Rathausから徒歩10分、フェルディナント・ローデ通り(Ferdinand-Rhode-Straße)と
モーツァルト通り(Mozartstraße)の交差点の角

最寄り停留所
► Mozartstraße(モーツァルトシュトラーセ):バス89番
 
 
 
 
 
 

◆ライプツィヒ物知り事典7

瀧 廉太郎

近代日本第一号の作曲家・ピアニストであり、『花』『箱根八里』『荒城の月』『お正月』などの作品で親しまれる瀧廉太郎(滝廉太郎)は、1879(明治12)年8月24日に東京で生まれた。官庁に勤めていた父の転任に伴って、幼い頃から横浜、富山、東京、大分、竹田と転居を重ねている。芝居や謡曲の好きだった父親・ヴァイオリンをたしなむ姉たちの下で、彼は音楽に親しんでいった。小学校では式典で伴奏をまかされ、高等科時代は音楽だけでなく、絵も得意だったという。
 
 
1894(明治27)年に15歳で大分県竹田市から上京し、東京音楽学校(現・東京藝術大学)に入学した。ここで、幸田延(のぶ)にピアノ・作曲・声楽を師事し、19才の時に本科を首席で卒業している。続けて研究科に進むと同時にピアノ教授を受け持ち、教師として活躍すると共に作曲とピアノ演奏でめきめきと才能を伸ばしていった。そして在学中の1901(明治34)年4月には文部省外国留学生となり、日本人男性としてヨーロッパで最初の音楽留学生(*注)としてドイツのライプツィヒに留学することとなる。この時に推薦状を書いたのは東京音楽学校での恩師ラファエル・フォン・ケーベルだった。

(*注)女性としては、幸田露伴の妹の幸田延・姪の幸田(安藤)幸が瀧に先んじてベルリン等に留学している。

ライプツィヒといえば当時、ヨーロッパにおける文化・芸術・音楽の中心地だった。瀧はここに1901年6月7日に到着し、音楽院の程近くにあるエッスィケ夫人宅(所在地:Ferdinand-Rhode-Straße 7、現・記念碑の位置)へ下宿することになった。音楽院教授ロベルト・タイヒミュラーを指導教官にドイツ語やピアノを習いながら、彼は音楽の街ライプツィヒに親しんでいく。精力的に市内の史跡を巡る中でシラー旧居に特別に興味を示し、フリードリヒ・シラーの作品を勉強したという。また日本を発つ6ヶ月前、21歳の彼は東京麹町にあった博愛教会(現在の日本聖公会東京教区・聖愛教会)で洗礼を受けている。こうした背景から教会にもしばしば足を運んだことだろう。
 
 
1900年頃の音楽地区
ドイツ到着の4ヶ月後、瀧は優秀な成績で入学試験に合格し、メンデルスゾーンが創設したドイツ初の音楽大学・ライプツィヒ音楽院に入学した。友人への手紙に彼は授業の様子や人物評などを書き送った。現在この手紙を読むと20世紀初頭のライプツィヒの音楽界や市民生活の様子を知ることができて興味深い。瀧はザーロモン・ヤーダスゾーン、ヘルマン・クレッチュマーらに師事し、勉学は順風満帆であるかのように見えたが、音楽鑑賞の帰りに引いた風邪によって事態は思わぬ方向へと進んでゆく。ヨーロッパでの初めての冬、瀧は風邪をこじらせ肺炎を起こし、12月にはライプツィヒ大学病院(所在地:Johannisallee 34, 04103 Leipzig)に入院した。そしてその2ヶ月後に肺結核を発病したのだった。ライプツィヒに来て丸1年となる1902年6月には、担当医の勧めに従って看護婦に付き添われながら病院内の庭園を散策するなど回復するかに見えたが、結果的には小康を得たにすぎなかった。

7月10日、瀧に文部省から帰国命令が下る。ライプツィヒ到着後1年余り、音楽院へわずか2ヶ月通っただけで、彼は無念の帰国を余儀なくされたのだった。8月22日、もう風が冷たくなりはじめるライプツィヒを瀧は列車にて後にし、翌23日にベルギーの港町アントワープに到着した。当時の船旅は長く、彼を乗せた若狭丸が神戸港に帰り着いたのは10月15日のことだった。ここからさらに汽車で東京へと赴き、そして年末の12月20日、父親の故郷でもあり、両親の待つ大分に帰郷した。そしてその半年後の1903(明治36)年6月29日、彼は療養の甲斐も虚しく、23歳の若さで息を引き取ったのだった。

絶筆となったピアノ曲『憾(うらみ)』(=残念に思うこと)には志半ばにしてライプツィヒに倒れた瀧の無念さがありありと表現されており、その旋律が聴く者の胸に突き刺さる。
 
■寄り道情報■

シラー旧居
Schillerhaus

瀧廉太郎のお気に入りの場所だったシラー旧居は、市内北部ゴーリス(Gohlis)地区にある。これは詩人フリードリヒ・シラー(1759~1805)が愛読者たちからの招待を受け、1785年にライプツィヒを訪れた際に滞在した居宅。シラーは同年の5月から9月までをこの家の2階で暮らした。当時彼は25歳、戯曲『群盗』によってその名が知られはじめた頃だった。ここで彼は『ドン・カルロス』(後年ジュゼッペ・ヴェルディによって歌劇化)を書き、友人クリスチャン・ゴットフリート・ケルナーをはじめとする人々の優しさに触れて賛歌『歓喜に寄す』を創作した。この作品は後にルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲に組み込まれ、かの『交響曲第9番(第九)』の最終章『歓喜の歌』として不朽のものとなる。簡素な農園建築の中に、世界的名作が誕生した場所としての気品が漂う。

所在地
Menckestraße 42, 04155 Leipzig

最寄り停留所
► Menkestraße(メンケシュトラーセ):路面電車4号線
(中央駅からの場合:駅前停留所3番ホームよりGohlis/Landsberger Straße行き、7つ目の停留所。所要時間約12分。下車後、徒歩1分。)

開館時間
4~10月(夏):
火~日曜10:00~17:00
11~3月(冬):
水~日曜11:00~16:00
夏季は月曜、冬季は月・火曜休館

入館料
一般:3ユーロ
割引:2ユーロ
18歳以下無料
(毎月第1水曜は無料開館)

お問合わせ先(市歴史博物館)
Tel.: +49 (0)341-5662-170
Fax: +49 (0)341-5662-170
http://www.stadtgeschichtliches-museum-leipzig.de (一部日本語あり)