Leipzig Tourismus und Marketing GmbH

Augustusplatz 9, D-04109 Leipzig
 
Stand / Druckdatum: 09.12.2016

Nikolaikirche | Leipzig Tourismus und Marketing GmbH

 

 
 
 
 
 
 
 
 
   
本日の最低料金
 
 
 
 
観光案内~ライプツィヒ発見    歴史    ニコライ教会
 

ニコライ教会
Nikolaikirche

ニコライ教会とトーマス教会は、ライプツィヒの2つの主要教会として歴史上信仰と音楽の分野における重要な役割を果たしてきました。14世紀以降、何百年にもわたってトーマス教会音楽監督が両教会の音楽を統括する立場にあったため、トーマス教会少年合唱団は第二次大戦前までニコライ教会の礼拝に参加し、ヨハン・セバスチャン・バッハはトーマス教会音楽監督在任中ここで『ヨハネ受難曲』や『クリスマス・オラトリオ』、モテットの傑作『イエスよ、わが喜び』を初演したといわれています。現在、教会内にはバッハを讃えた小さな胸像が置かれ、教会の北隣にはライプツィヒに生まれたリヒャルト・ワーグナーゆかりの旧ニコライ学校も残ります。

ライプツィヒは商都として発展したため、商業の守護聖人・聖ニコラウスに捧げられた当教会は広い信仰を集めたほか、宗教改革によってプロテスタント・ルター派の都市ライプツィヒの中央教会となり、市民のさらなる手厚い保護を受けて当地の隆盛を反映する豪華な装飾が施されてゆきました。後期ゴシック様式の外観に創建当時のロマネスク様式の面影が残る一方、新古典主義様式の内部には教会とは思えないようなシュロの木をかたどった列柱が並び、6,804本のパイプと5段の鍵盤を持つパイプオルガンはザクセン州最大・ドイツ国内でも有数の大きさを誇ります。若きゲーテも師事した当地の画家、アダム・フリードリヒ・エーサーの筆による内陣に掲げられた一群の絵は、天井にある天使と虹のモチーフが特に印象的です。

1165年に創建の始まった市内最古の教会でありながら、ここは同時にドイツ現代史の舞台でもあります。東ドイツ時代、ここでは東西冷戦の緊張の中で毎週月曜に平和のあり方を考える「平和の祈り(Friedensgebete)」が開かれるようになり、その規模は言論・政治活動・出国の自由を求める人々によって次第に拡大し、教会外へのデモ行進へと発展してゆきました。来たる1989年10月9日、7万人に膨れ上がった参加者が「我々が人民だ(Wir sind das Volk!)」(=我々こそが主権者たる国民だ)と叫びながら広場や通りを埋め尽くすという大規模なデモが起こり、これによって東ドイツ平和革命の口火が切られます。瞬く間に東ドイツ全土に広まった反体制運動はその1ヶ月後にベルリンの壁を崩壊させ、わずか1年後には東西ドイツが統一されました。ニコライ教会は「東西ドイツ統一革命の出発点」として世界史にその名を刻み、ライプツィヒの象徴として現在を生き続けています。周囲の広場の一角には教会の柱をかたどったニコライ記念柱 (Nikolaisäule)が立ち、その足元には革命開始の日付と人々の足跡が刻まれたレリーフが埋め込まれています。「平和の祈り」も途絶えることなく守られており(毎週月曜17:00~)、閉会後には小規模ながらデモ行進も行われます。
 
 
ニコライ教会とクリスマス市
所在地
Nikolaikirchhof 3, 04109 Leipzig
(中心街)

最寄り停留所
► Hauptbahnhof(ハウプトバーンホーフ / 中央駅)
または
► Augustusplatz(アウグストゥスプラッツ):路面電車4・7・8・10・11・12・14・15・
16号線

拝観時間
毎日10:00~18:00(特別礼拝やコンサートなどの例外あり。日曜は複数回行われる礼拝の合間のみ拝観可。)

拝観無料

オルガンコンサート
毎週土曜17:00~
入場料 2ユーロ

オルガン見学ツアー
毎週金曜16:30~17:00
見学料 5ユーロ(教会内の売店にて受付)

教会塔ツアー
毎週土曜14:00~
見学料 2.50ユーロ(教会内の売店にて受付)

お問合わせ先
Tel.: +49 (0)341-1245-380
Fax: +49 (0)341-1245-3829
http://www.nikolaikirche-leipzig.de
 
 
 

◆ライプツィヒ物知り事典10

東ドイツ平和革命
Friedliche Revolution

1989年10月9日の「平和の祈り」
1945年、終戦によってライプツィヒのある中部ドイツ地方はソ連占領区となり、1949年にそれがドイツ民主共和国という新たな独立国となった。敗戦国として解体されたナチスドイツは、ドイツ連邦共和国とドイツ民主共和国、いわゆる西ドイツと東ドイツという分断国家の道を歩むこととなる。東側諸国の一員として常にソ連の強い影響下にあった東ドイツではその歴史を通して社会主義統一党による圧政が続き、意見を述べるにも旅行をするにも国民の自由は存在しなかった。

その中で国内の各教会は積極的に人々に対話の場を提供するようになり、東西冷戦の緊張・及び社会全体の不満の鬱積のなか、国民が自由に意見を交わすことのできる唯一の公共の場として独自の発展を遂げていった。1982年9月、ライプツィヒのニコライ教会ではクリスチャン・フューラー牧師によって「平和の祈り」という集会が毎週月曜に行われるようになり、「全ての人に扉を開く(offen für alle)」という牧会の下、不満を抱える地元の人々や平和・環境・人権問題に携わる諸団体によって徐々に参加者が増加していった。次第にニコライ教会は東ドイツの現状体制に反対する市民運動の拠点となり、同じく東欧のハンガリーが先んじて西側国境を開放したなどの刺激もあって、1989年9月4日からは集会後に「月曜デモ(Montagsdemonstration)」と呼ばれる教会外へのデモ活動が始まる。教会に入りきれない程の人々が集会に押し掛けるようになり、東ドイツ当局は反政府運動としてこれを暴力的に取り締まった上、今後の鎮圧に銃器を使用することを示唆した。
 
 
ニコライ記念柱
しかしライプツィヒ市民は政治改革と自由の獲得を諦めず、1989年10月9日月曜の「平和の祈り」の後、デモに参加すべく教会周囲に集まった人々の数はとうとう7万人にまで達した。東ドイツ政府は普段より国境を破って西ドイツに逃亡しようとする者に対し銃撃を行っていたばかりか、4ヶ月前に発生した第二次天安門事件については中国共産党政府の暴虐な対応を公式に支持しており、まさにいつ部隊に射殺されるとも知れない中をこれまでにない多くの人々がデモ行進へと繰り出し、環状大通りや広場を埋め尽くしたのだった。そして非暴力と平和を訴え続ける教会と市民たちに投入されていた警察・軍隊は心を動かされ、この模様をただ傍観することしかできず、デモ隊に向けられていた銃の引き金が引かれることはついになかった。ここに国民の意思が暴力手段に訴えることなく独裁国家権力に打ち克つという奇跡が起きたのだった。この時ゲヴァントハウス楽長クルト・マズアらは市民への武力行使を避けて平和的に解決する要望を政府当局に訴え、デモ成功を大きく後押しした。

この日のライプツィヒ市民の勇気ある行動が決定的な発端となって以降の月曜デモ参加者は爆発的に増加したことに加え、東ドイツ全土で反体制デモが頻発するようになり、国家最高首脳エーリッヒ・ホーネッカーは9日後に失脚、1ヶ月後の11月9日には「鉄のカーテン」の象徴たるベルリンの壁が崩壊した。この暴力に依らない国民蜂起は間もなく社会主義統一党政権を終焉へと導き、ついには東ドイツという国家体制そのものも崩壊させ、分断国家ドイツを1人の犠牲者も出すことなく統一へと導いた。それゆえ1989年10月9日にライプツィヒから始まったこの出来事は「平和革命」と名づけられ、革命の出発点であるニコライ教会はその象徴となった。ライプツィヒのデモ隊のシュプレヒコール "Wir sind das Volk! (ヴィア・ズィント・ダス・フォルク)" 意味:「我々が人民だ(=我々こそが主権者たる国民だ)」 は平和革命を象徴する言葉となったほか、人々はライプツィヒを「英雄の街(英雄都市)」(Heldenstadt)と呼び、その勇気を讃えた。
 
 
民主主義の鐘
現在、ニコライ教会そばにはニコライ記念柱(アンドレアス・シュテッツナー制作、1999年10月9日除幕)が築かれ、これは同教会の列柱をかたどった革命の記念碑であると同時にフランス革命由来の「自由の樹」であり、フランス革命からちょうど200年後に東ドイツでそれに匹敵する革命が起きた証でもある。平和革命の重要な舞台となったアウグストゥス広場では毎年10月9日に「光の祭典」が開催される。広場の隅には、革命20周年を記念する「民主主義の鐘(Demokratieglocke)」(ヴィア・レファンドフスキー制作、2009年10月9日除幕)もある(位置)。このモニュメントは金色の卵型をしており、礎石には詩人ドゥルス・グリューンバインによる民主主義を謳うドイツ語の〝俳句〟が刻まれている("Demokratie ist - in unendlicher Nähe - längst sichtbar als Kunst" 試訳すれば「芸術に見知る姿よ民主主義」)。鐘は毎週月曜の18時35分(これは1989年当日、デモ隊がニコライ教会からアウグストゥス広場に到着した時刻とされる)のほか毎日不定期でその音を響かせる。ニコライ教会・旧国家保安省記念館・かつてデモ行進の民衆が埋め尽くした環状大通りは、共にドイツ各地の「鉄のカーテン史跡群(Stätten des Eisernen Vorhangs)」の一部としてEUによる「ヨーロッパ文化遺産(Europäische Kulturerbe)」(EU諸国におけるヨーロッパ統合史にとって象徴的な場所)に登録され、世界史の動いた現場として国際的価値が認められている。