Leipzig Tourismus und Marketing GmbH

Augustusplatz 9, D-04109 Leipzig
 
Stand / Druckdatum: 09.12.2016

Museum der bildenden Künste | Leipzig Tourismus und Marketing GmbH

 

 
 
 
 
 
 
 
 
   
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観光案内~ライプツィヒ発見    美術    ライプツィヒ造形美術館
 

ライプツィヒ造形美術館
Museum der bildenden Künste Leipzig

マックス・クリンガー作『ベートーヴェン像』
ライプツィヒ造形美術館には500年にわたるヨーロッパ美術史が集約されています。2004年に完成した斬新な建物の内部には4階にわたって柔らかな日の光が差し込み、その贅沢な空間に様々な時代・芸術家・テーマの作品が並びます。商業や学問の中心地として発展したライプツィヒでは芸術に造詣の深い実業家や知識人たちが様々な美術品を収集し、それらが市に寄贈され、現在のコレクションが形成されてゆきました。その所蔵品は中世から現代まで、絵画3,000点以上・彫刻約850点・グラフィックアート作品55,000点以上にのぼり、ドイツでも最古・最大級の市民コレクションとなっています。常設展に加え、多彩な特別展にも多くの美術ファンが集まります。

常設展ではルーカス・クラーナハ(父)によるヴァルトブルク城閉居時代のルターの肖像『騎士イェルクに扮したマルティン・ルター』(1521)、フランス・ハルス『ムラート』(1627)、カスパー・ダヴィット・フリードリヒ『人生の諸段階』(1835)、ポール・ドラローシュ『フォンテーヌブローのナポレオン』(1845)、アルノルト・ベックリンの連作の一つ『死の島』(1886)、マックス・クリンガーの伝説的作品『ベートーヴェン像』(1885-1902)、オットー・ミュラー『恋人たち』(1919)などといった名作を見ることができ、また東ドイツ時代に国民の苦しみを代弁する役割を担ってきた「ライプツィヒ派」の諸作品も充実しています。

ひときわ目を引くベートーヴェン像は、音楽を題材とした美術史上の傑作に数えられます。ライプツィヒ出身の彫刻家マックス・クリンガー(1857~1920)は楽聖ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンを古代神になぞらえ、7年の歳月を費やしてその姿を完成させました。そして1902年にウィーン分離派会館にてグスタフ・クリムトの大作『ベートーヴェン・フリーズ』と隣り合う形で初めて公開され、社会的反響を巻き起こします。その存在感は広く知られるようになり、1918年6月1日の徳島県・板東俘虜収容所におけるベートーヴェン『交響曲第9番(第九)』日本初演時のプログラムの表紙にも当像がデザインされたほどです。クリンガーのベートーヴェン像は、日独交流の歴史にもその姿を残しているのです。
 
 
所在地
Katharinenstraße 10, 04109 Leipzig
(中心街)

最寄り停留所
► Reichsstraße(ライヒスシュトラーセ):バス89番

開館時間
火・木曜~日曜・及び祝日10:00~18:00
水曜12:00~20:00
祝日を除く月曜休館

入館料(常設展)
一般:5ユーロ
割引:3.50ユーロ
18歳以下無料
(毎月第2水曜は無料開館)

お問合わせ先
Tel.: +49 (0)341-2169-90
Fax: +49 (0)341-2169-9999
http://www.mdbk.de
 
 
 
 
 
 

◆ライプツィヒ物知り事典11

ライプツィヒ派・新ライプツィヒ派
Leipziger Schule - Neue Leipziger Schule

ネオ・ラオホ (1960~)
「ライプツィヒ派(Leipziger Schule)」は東ドイツ美術界における絵画の一派。ライプツィヒの視覚装丁芸術大学(Hochschule für Grafik und Buchkunst)(*注)を中心に発展したためこの名がある。

(*注)「視覚芸術アカデミー」とする訳例もあるが、ドイツ語の「アカデミー(Akademie)」という呼称は(英語の"academy"とは異なり)学士院・学術団体としての意味合いが強い。同校は国立大学として視覚芸術・装丁芸術の高等教育を行う機関であるため、ここでは「視覚装丁芸術大学」と表記する。

東ドイツことドイツ民主共和国(1949~1990年)では芸術・文化さえも国家によって政治的に操られ、音楽でも文学でも絵画でも、労働者を賛美するような題材ばかりが奨励された。このようなプロパガンダ芸術は国民に受け入れられるはずもなく、政治主導の美術潮流は国民の嗜好から乖離するばかりだった。

そのような中で視覚装丁芸術大学教授のベルンハルト・ハイズィヒは、1964年にヴォルフガング・マットイヤー、ヴェルナー・テュプケらと共に絵画グループを結成した。この一派はプロパガンダ美術とは一線を画した作品を次々と発表し、次第に彼らは「ライプツィヒ派」として国民に人気となる。これらの画家たちは反政治色を直接的に表現するのではなく、陰鬱な、そして奇抜な色使いとテーマを用いた作品を描き、国民たちはこれを東ドイツの人々の不自由を代弁するものと理解した。政治的規制によって国民の味わう苦しみが一切報道されない社会の中で、ライプツィヒ派の絵画は民衆の苦悩を表現する〝代替メディア〟として熱狂的に支持されるようになっていった。東ドイツにおいて絵画とは画家のためだけでなく、民衆にとっても重要な表現手段として機能してゆく。これは1989年にライプツィヒから始まった平和革命とも無関係ではない。政治批判の許されない東ドイツで、国民とりわけライプツィヒ市民たちは、美術作品の中に社会主義体制の矛盾を感じ取り、これに立ち向かう意志を学び取ったのだった。

美術作品は東西ドイツ統一によってこのような役割は担わなくなったものの、視覚装丁芸術大学を中心とする美術の伝統は受け継がれ、現在ここでは「新ライプツィヒ派(Neue Leipziger Schule)」が新たな興隆を見せている。一派の旗手であるネオ・ラオホ、マティアス・ヴァイシャーらの表現する超現実的な画風は、東ドイツのライプツィヒ派の伝統を受け継いでいるからこそ、我々に多くを訴える。新ライプツィヒ派の多くは市街西部の旧紡績工場シュピネライにアトリエを構え、それゆえシュピネライはヨーロッパ有数の現代美術の発信地となっている。