Leipzig Tourismus und Marketing GmbH

Augustusplatz 9, D-04109 Leipzig
 
Stand / Druckdatum: 09.12.2016

AMI Leipzig | Leipzig Tourismus und Marketing GmbH

 

 
 
 
 
 
 
 
 
   
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観光案内~ライプツィヒ発見    年間行事    自動車見本市
 

ライプツィヒ自動車見本市
AMI (Auto Mobil International) Leipzig

時期:偶数年6月上旬の約9日間
(自動車部品・付属品見本市「AMITEC」と「AMICOM」は毎年同時期の4日間)
会場:ライプツィヒ・メッセ / 新見本市会場


ライプツィヒ自動車見本市は、奇数年のフランクフルト自動車見本市との交替で偶数年に開催されます。フランクフルトと並ぶドイツ最大のモーターショーとして500社を超える自動車製造・関連企業が出展し、毎回多くの来訪者を集めます。現在ライプツィヒは自動車産業の重要拠点として成長中で、当地に製造工場・開発拠点を構えるBMWやポルシェの充実した出展をはじめ、この見本市では東ヨーロッパのマーケットにも重点が置かれ、チェコやポーランド製の車も幅広く展示されます。新車や新技術の発表会など、ヨーロッパ最新の自動車市場を体験する絶好の機会となっています。



日程などについては、観光局またはライプツィヒ・メッセまでお問合わせください。
 
 
公式サイト
http://www.ami-leipzig.de
 
 
ライプツィヒ・メッセ / 新見本市会場(Leipziger Messe / Messegelände)

所在地
Messe-Allee 1, 04356 Leipzig

最寄り停留所・鉄道駅
► Leipzig Messe(ライプツィヒ・メッセ):都市鉄道(Sバーン)S1・S2・S5・S5X号線をはじめとする鉄道各線
(ライプツィヒ=ハレ空港駅・ライプツィヒ中央駅からの場合:上記の都市鉄道を使用しそれぞれ所要時間約6分。)
または
► Messegelände(メッセゲレンデ):路面電車16号線
(ライプツィヒ中央駅からの場合:駅前停留所1番ホームよりMessegelände行き、14番目の停留所<終点>。所要時間約19分。)

お問合わせは新見本市会場/国際会議場のページ参照
 
 
 
 
 
 

◆ライプツィヒ物知り事典14

ライプツィヒ・メッセ
Leipziger Messe

マルクト広場のメッセ
メッセとは日本語で「見本市」と訳されるが、本来は見本展示に限らず商取引をするための大規模な定期市の総称。日本語の感覚としては博覧会に近く、商品販売・展示会のほか、様々なイベントや芸術祭などがドイツでメッセと名の付くのはこのため(ちなみに語源を同じくする教会のミサ、そしてミサ曲のことも同じくメッセという)。博覧会との明確な違いはその定期性にある。メッセは原則として決まった時期に毎年開催される。

ライプツィヒのメッセは、商都の長い伝統をその基礎としている。中世、2つの通商街道「国王の道(Via Regia)」と「帝国の道(Via Imperii)」がこの地で交差していたことによってライプツィヒでは早くから商業が根付き、ヨーロッパ内外から新しいもの・優れたものが集まった。すでに1190年には領主によって大規模な市(いち)の開催が許可され、市場町として地域における経済的優位が確立されていた。

そして1497年と1507年、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世はライプツィヒに正式に帝国通商市(大市)=メッセの開設権を与え、これまでの定期市から格上げされた年3回開催の通商市「ライプツィヒ・メッセ」を帝国の保護下に置いた。これは周囲115キロ圏内での同様の催しを禁じるものでもあり、それゆえライプツィヒは経済都市として一層繁栄してゆくことになる。物々交換に始まったメッセは、やがて金銭を介した現物売買の場(現物市)として次第に規模を拡大していった。ライプツィヒでは何世紀にもわたって常に最新のものが市場に並び、マイセン磁器など現在世界的に知られるものも、すべてライプツィヒ・メッセから広まっていった。ライプツィヒの文化的発展においてもメッセが果たした役割は極めて大きい。メッセを通じて様々な国や地域から優れた文物がもたらされ、これによって音楽をはじめとする芸術・文化がライプツィヒに花開いたのだった。

19世紀の近代工業化に伴って商品の大量生産・輸送が可能となると、現物を会場にて直接売買するのではなく、見本を展示し、契約後に商品を工場から直接輸送するという「見本市」という発想がライプツィヒで生まれた。時代を先取りする精神によってこの地で世界初の見本市が1895年に創始され、全世界における新たなビジネスモデルとなった。これによってメッセという語は見本市を指して使われるようになり、ライプツィヒは見本市の発祥地及び世界最初の見本市都市としてその名声を不動のものにする。街は栄華を極め、この時期に壮麗なパッサージュ街や見本市館の数々が建設された。
 
 
新見本市会場
やがて大型機械を展示する技術見本市が始まると市街の見本市館では手狭になり、これによって現代に受け継がれる郊外型の展示場というスタイルが生まれた。東ドイツ時代まで、ライプツィヒ・メッセはこの時に設置された会場(現在は旧見本市会場 Altes Messegeländeと呼ばれる)と中心街各館で行われていた。東ドイツ圧政下の西側世界からの情報が遮断されていた中でもライプツィヒはメッセによって世界との交流を維持し、市民たちが国際感覚を失うことはなかった。

現在の新見本市会場(Neues Messegelände)は1996年に新設されたヨーロッパ最新の通商施設だ。東西ドイツ統一後に再出発したライプツィヒ・メッセはその歴史的基盤を存分に生かし、新時代の需要に合わせたビジネスの場を提供することに成功している。自動車見本市や環境見本市は、ライプツィヒ技術見本市の伝統を現在へと受け継ぐものだ。これに加え書籍見本市や馬術見本市などが国内有数のイベントとして賑わいを見せる。

そして2013年に新見本市会場とライプツィヒ中心街の地下を直接結ぶ鉄道の新路線が開通したことにより、メッセ都市ライプツィヒの過去と現在は改めて一本の線として繋がった。中心街マルクト広場の直下に開業したマルクト駅の南口は同所にあった地下展示ホールの入口を転用したもので、かつてここには1925年に開設された世界初の地下式見本市ホール(Untergrundmessehaus)があった。当時のアール・デコ様式のその入口部分は新駅の玄関として生まれ変わり、広場から戦前の見本市ホールの入口をくぐれば、新型車両によって新見本市会場へと直通する。中世以来の市場であったマルクト広場と現在の新見本市会場という商都ライプツィヒの新旧の取引の場は、今このようにして共に時を刻んでいる。