Leipzig Tourismus und Marketing GmbH

Augustusplatz 9, D-04109 Leipzig
 
Stand / Druckdatum: 09.12.2016

Alte Nikolaischule - Richard-Wagner-Ausstellung | Leipzig Tourismus und Marketing GmbH

 

 
 
 
 
 
 
 
 
   
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観光案内~ライプツィヒ発見    音楽    旧ニコライ学校・ワーグナー展
 

旧ニコライ学校・ワーグナー展(ワーグナー博物館)
Alte Nikolaischule - Richard-Wagner-Ausstellung

西洋の芸術と文化全体に多大な影響を及ぼした作曲家リヒャルト・ワーグナー(1813~1883)は、1813年5月22日 ―諸国民戦争(ライプツィヒの戦い)の約5ヶ月前― ライプツィヒに生まれました。中心街・ニコライ教会の隣には、1512年から1872年まで市立ニコライ学校のあった旧校舎が残ります。ゴットフリート・ライプニッツ、クリスチャン・トマジウス、ヨハン・ゴットフリート・ゾイメらの学んだこの学校で、青年ワーグナーも1828年から1830年まで音楽をはじめとする教育を受けました。そして生誕200年を迎えた2013年5月、彼自身が生徒であった学校というゆかりの場所にその足跡を記念する小さなワーグナー博物館が開設されました。

階段を下りた地下階で行われている常設展「若きリヒャルト・ワーグナー 1813~1834」では、音楽の街ライプツィヒが青年ワーグナーをいかに音楽の道へと方向付け、そしてこれが後の彼をどのように総合芸術家に至らしめたのかをテーマに、誰もが知る大規模な舞台作品の陰に隠れたライプツィヒ時代のピアノ曲やオペラ『妖精(Die Feen)』などが紹介されます。著名なバイエルン州バイロイト市のワーグナー博物館(ヴァーンフリート荘)における円熟の巨匠という視点に対し、ライプツィヒのワーグナー展はこれを補い、彼の全貌を完成させる重要な役割を担います。そして旧校舎の3階部分には、当時ワーグナーが音楽の授業を受けた新古典主義様式の講堂(Richard-Wagner-Aula)があります。ライプツィヒに唯一現存する若きワーグナーと音楽との出会いを伝える場所として、今日ここは文化行事等に使用されています(通常非公開、事前申し込みによるツアー見学可)。
 
 
生家(1886年以前)
〝ライプツィヒの生んだ最も偉大な息子〟と呼ばれるワーグナーはトーマス教会にてルター派の洗礼を受け、後年ニコライ学校・トーマス学校・ライプツィヒ大学へと通いました。大学で音楽を専攻する傍ら、トーマス教会音楽監督(トーマスカントル)のテオドール・ヴァインリヒ、そしてゲヴァントハウス管弦楽団ヴァイオリニストのゴットリープ・ミュラーに師事し、生涯初となる自作曲の演奏会もこの街で行われました。ゲヴァントハウス・コンサートホールで聴いたベートーヴェンの交響曲に感化されたことをはじめ、ライプツィヒの持つヨーロッパ有数の文化都市の気風が彼の類まれなる芸術感覚の基盤となり、後の歴史的偉業へと導いてゆきます。

1834年に21歳にして当地を去るもののライプツィヒとの縁は切れることなく、ゲヴァントハウス・コンサートホールでは1862年に『序曲「ニュルンベルクのマイスタージンガー」』の初演を自ら指揮し、1868年には大学生にしてすでに哲学者の貫禄を見せていたフリードリヒ・ニーチェ(ライプツィヒ大学では後輩にあたり、ワーグナーの芸術精神が思想的影響を与えた)との出会いの地ともなりました。後の楽劇『パルジファル』はバッハの『マタイ受難曲』の影響を強く受けたと同時に、ワーグナーの一連の壮重かつ神学的な音楽劇が至高の芸術として当時の人々に受容されたことは、『マタイ受難曲』が19世紀末により広く再評価される重要な布石ともなりました。偉大な傑作を創造したバッハ、その作品を蘇演したメンデルスゾーン、そしてドラマチックな音楽劇によってバッハの普遍性を認識させたワーグナーという三者を繋ぐ場所がライプツィヒであること、また、ワーグナーの葬送曲としての性格を持つアントン・ブルックナー『交響曲第7番』がライプツィヒ歌劇場で初演され成功を収めたことや、ワーグナー作品を好んだという森鷗外がドイツ留学の最初の1年を過ごしたのがライプツィヒ大学であったことも興味深い点です。
 
 
 
「ライプツィヒのワーグナー」特別サイト(ドイツ語・英語)
 
 
講堂に掲げられた肖像画(1862)
所在地
Nikolaikirchhof 2, 04109 Leipzig
(中心街)

最寄り停留所
► Hauptbahnhof(ハウプトバーンホーフ / 中央駅)
または
► Augustusplatz(アウグストゥスプラッツ):路面電車4・7・8・10・11・12・14・15・16号線

開館時間
火~木・土日曜12:00~17:00
月・金曜及び祝日休館

入館料
一般:3ユーロ
割引:1.50ユーロ
6歳以下無料

※1階の券売所はライプツィヒ大学附属古代博物館(Antikenmuseum
der Universität Leipzig / 建物2階)と共通だが、料金はそれぞれ別

お問合わせ先(ライプツィヒ文化財団)
Kulturstiftung Leipzig
Tel.: +49 (0)341-2118-518
Fax: +49 (0)341-2118-520
http://www.kulturstiftung-leipzig.de
 
 
 
 
 
 
逸話

学生時代のワーグナーは当地の著名な音楽出版社ペータースに支援を願い出るものの、失敗に終わる。「生活費工面のために作曲で仕事ができないか」と恐る恐る尋ねたところ、「音楽でまず何かを仕上げてからもう一度来なさい」と断られた。

ワーグナーが出版社を再び訪れたのはずっと後の1853年のことで、その時携えてきた作品はあの『タンホイザー』だった。やがて当地の歌劇監督のアンジェロ・ノイマンからも支援を受けられるようになり、その喜びに「ライプツィヒ万歳!気鋭の劇場監督をもつ我が生まれ故郷の街よ」と、『ニーベルングの指環』初演の後バイロイトから打電している。
 
 
 
 
 
ワーグナーの足跡を追って
 
 
  • 生家跡
生家はかつて中心街・ブリュール通り(Brühl)沿いにあり、その建物は「紅白獅子館(Haus zum Roten und Weißen Löwen)」と呼ばれていた。これは1886年の市街再開発によって取り壊され、新たに生まれた19世紀末の家並みも第二次大戦によってほぼ完全に失われた。現在はショッピングセンター「ヘーフェ・アム・ブリュール(Höfe am Brühl)」が建ち、生家跡にあたる場所にはワーグナーの横顔の描かれたレリーフが掲げられているほか、当時の生家の外観が網点調のガラス壁画によって実物大に再現されている。ブリュール通りの西端、ハイン通り(Hainstraße)との交点付近
  ここで1813年8月16日に洗礼を受けた。その際の洗礼盤は内陣に置かれており、現在も使用されている。
 
  • 王侯館(Königshaus)
ピョートル大帝やナポレオンらが逗留した館であると同時に、文献学者であった叔父ゴットロープ・ハインリヒ・アドルフ・ワーグナー(1774~1835)の旧居。ここでリヒャルト少年はシェイクスピアやドイツ・ロマン主義文学などの名著に触れた。マルクト広場・旧市庁舎の南隣
 
 
王侯館
 
  • 旧ニコライ学校
1828~30年にかけてワーグナーが通った後、トーマス学校に転校した。トーマス学校の当時の校舎は現存しないものの、同校は古来トーマス教会少年合唱団の団員たちの学ぶ場として現在も特別な音楽教育の伝統が守られている。
  ここでベートーヴェンの交響曲などの名作に触れ、自らの作品を発表した。1894年解体。市立商館(Städtisches Kaufhaus)の南東の角に跡地を示す銘板がある。
  1831年に入学し音楽を専攻。当時の校舎は残っていないが、音楽専攻は現在の音楽学科に受け継がれている。2013年5月22日のワーグナー200回目の誕生日には、大講堂にて楽劇『神々の黄昏』が演出ヨアヒム・ラトケ、指揮ダヴィット・ティム(ライプツィヒ大学音楽監督)ら、そして多数の学生たちの出演協力により記念上演された。
  楽壇の社交場として繰り返し訪れた。シューマン宅はワーグナーの定宿だった。
 
 
ヨハンナとロザリーの墓碑
  • 旧ヨハニス墓地
    (Alter Johannisfriedhof)
かつての市の中央墓地で、母ヨハンナ・ロジーネ・ワーグナー(1778~1848)と人気舞台女優だった長姉ロザリー・ワーグナー(1803~1837)、師事したトーマス教会音楽監督テオドール・ヴァインリヒ(1780~1842)の墓碑がある。その手前の区画にはリヒャルトが生後6ヶ月の時に死去した父カール・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ワーグナー(1770~1813)も葬られていたが、墓標は現存しない。実父を知らずに育った心理は、後の楽劇の中にも投影されているといわれる。2013年、埋葬地点に小さな石碑が除幕された。グラッシィ博物館
 
記念碑・銘板
  • 生家跡のレリーフ
  • ワーグナー像(環状大通りの遊歩道沿い)
1913年の生誕100周年の際に建碑が計画され、ライプツィヒ出身の彫刻家マックス・クリンガー(1857~1920)が周囲の階段と一体して設計。立方体状の大理石の台座には正面にラインの乙女たち、左面にジークフリート・ミーメ・悪竜(以上『ニーベルングの指環』より)、右面にパルジファルとクンドリ(『パルジファル』より)が彫刻されている。クリンガーの死によって未完となった。生誕200周年を機に保管されていた各部材が元通りに再設置され、その台座の上に現代彫刻家シュテファン・バルケンホールによる新たな銅像が2013年5月22日に除幕、遂に記念碑として完成した。彩色された等身大の若きワーグナーの背部にそびえる大きな影は後年の巨匠となった姿をしており、これは今日まで形成されてきた彼自身を遥かに超えた影響力の大きさを表し、その偉大性の中に彼の民族主義的側面や後世ナチ党に政治利用された事実が落とす暗い影を示唆する。生家跡と旧国家保安省記念館の間の環状大通りの遊歩道沿い(位置
 
  • 胸像(歌劇場裏)
マックス・クリンガーが1904年に制作したワーグナーの胸像を原型に、没後100周年となる1983年の東ドイツ・ワーグナー音楽祭に際して建碑された。ライプツィヒ歌劇場すぐ裏、環状大通りに面した公園内
 
 
ワーグナーに関する常設展
  • 旧ニコライ学校・ワーグナー展
旧市庁舎内の常設展では第一上階にワーグナー展示室があり、彼に陶酔していたバイエルン王ルートヴィヒ2世(ワーグナーの芸術世界を現実に再現すべくノイシュヴァンシュタイン城を建設したことで有名)から1864年に下賜されたピアノなどを公開。ワーグナーは愛用のこの楽器で『ジークフリート(第3幕)』『神々の黄昏』『パルジファル』などを作曲した。また第二上階には『序曲「ニュルンベルクのマイスタージンガー」』初演時に使用した初代ゲヴァントハウス・コンサートホールの指揮者譜面台もある。
 
 
彼の名を持つ場所・施設 1913年の生誕100周年を記念し制定。生家跡そばに位置するリヒャルト・ワーグナー広場には、現歌劇場の前身となる旧劇場(Altes Theater)があった(第二次大戦で破壊され現存せず)。女優・歌手であった姉たちがこの舞台に立ち、自身にとっても初めて自作曲の公開演奏(1830年12月25日、『ティンパニー序曲』)が行われた場所となり、名歌手ヴィルヘルミーネ・シュレーダー=デフリエントの演ずる歌劇に強い感銘を覚えたことが音楽家を志す決定的な契機となるなど、同劇場は若きワーグナーにとって運命的な役割を担った。
  1933年の没後50周年を記念し、市が遊水池の両岸に跨る大規模な記念碑公園を計画。ワーグナーを政治利用したナチ党が国立ワーグナー記念碑として着工したが未完に終わり、彫刻等は散逸。水辺の緑地に「リヒャルト・ワーグナーの園林」いう名のみが残る。
 
 
祭典・行事 1878年、バイロイト以外で初となる『ニーベルングの指環』の完全演奏を行うなど、現在までワーグナー作品を重要なレパートリーとしている。毎年彼の誕生日(5月22日)を迎える期間には、ワーグナー音楽週間(Richard-Wagner-Festwoche Leipzig)として歌劇場をはじめとする各所で記念公演・行事が開催される。

ライプツィヒ・ワーグナー協会
http://wagner-verband-leipzig.de